一緒に生きよう! | 五体不満足★猫版

一緒に生きよう!

「絶対、反対!」「いや、俺だってそれには絶対、反対!」

翌日。私と相棒は互いに「断固反対」「断固反対」と繰り返していた。
これ、二人が互いに同じ意見を口にしていると思うでしょうが、実は違うのです。私は相棒の意見に断固反対だったし、相棒は私の意見に断固反対だった。つまり意見の衝突が生じている場面なのです。

「無理だよ。金だってかかる、手もかかる。保健所に連れてったほうがいいよ!可哀相だと思うし飼ってやりたいと思うけど、しょうがないよ!」恋人は昨日の弱気は何のその、コレだけは譲れないといった風情。

「冗談じゃないよ。なんでそんなに簡単に殺したほうがいいだなんて言えるの?可哀相だと思うなら責任取ろうよ!こんな目にあわなきゃ普通に飼い手が付いて幸せに猫ライフを満喫できたんだよ!?」
そもそも誰の不注意でこんなことになってると思うんだよ!と、衝動的に言いたくなる台詞をぐっと飲み込む。
そう、相棒のせいじゃない。もとはといえば、私たちが「子猫」と一緒に生活する、ということに関してあまりに無防備で、注意力に欠けていたのだ。柵を作って、離乳するまで安全な場所で生活させる、ということだって出来たはずなのに。

衝突の発端は、恋人があまりにも自責の念にとらわれていたからだった。「俺の責任だ」とへこむ姿を見てちょっとかわいそうになり、「こんなに小さくてちょこまかしてればわからないよ。横から突然走りこんで扉の下にもぐりこんできたんだからさあ」と、同情した私が馬鹿だった!
こやつはそれで一気に勢いを取り戻し、今度は手のひら返したように「育てることは出来ない」ときっぱり言い放ったのだー!

んもうーーー馬鹿馬鹿馬鹿!単純馬鹿!自分の責任じゃない、と気持ちが軽くなった途端もうそれかい!あ、あ、呆れるわ!

確かに。野生の猫では両後脚の麻痺は生命にかかわる大問題だ。このまま生きててもいずれ死んでしまうだろう。
だけど1号は幸い人間の家で生まれた猫だし、不幸中の幸いで痛みは感じていない。内臓も無傷、出血をしたわけでもない。動きは確かに他の健常な猫と比べて劣るだろう。だけど、足が動かないだけで元気だ。飼い猫ならば獲物を狙う必要も無い。

これがたとえば、生きているだけで堪えがたい痛みがあるというなら、そりゃあ考えるよ。かわいそうだからという理由だけで生かすのは、もっと非情だと、それはわかる。だけど、人間様の勝手で傷つけて人生(猫生?)台無しにされた猫を、人間様の勝手でその生命を取り上げるなんて、そんな簡単に決めていいことか?

そのときのあたしはもう、頭の中がぐちゃぐちゃ。生かしてあげたいと思うのが人間のエゴなのか?でも、きちんと責任をとる決意と、それに伴う負担もいとわないという気持ちがあれば!そんなステレオタイプに「手負いの動物は殺してあげるのがやさしさ」なんて、それ、ちゃんと自分の頭で考えて出した答え?
世間でよく言われてるから、ってな感じで軽々しく口にしてないか?


で、困ったときのママ頼み。未熟者の私は相棒が仕事に出かけてから、ひっそりと実家へ電話を。かくかくしかじか。どうすればいいか。と相談すると、普段「生き物を大切にしなさい」「命を大切にしなさい」「何物にも変えがたい、生命の重さ!」「中絶なんてもっての他!」とかたくなな教えを貫いてきた私のママはこう言った。

「えー。そんなめんどくさい。保健所連れて行きなさいよ」

ママ・・・・・・・・・・・・。

部屋のすみっこで体育すわりしてシクシクと泣き濡れる私。
この瞬間、全世界を敵に回した気分でした。

しかし。
「ふにゃああ」
そのとき、シャオロンがヨチヨチ歩きで(テーピングで固定されているのでアザラシの赤ん坊にそっくり)、首を「クリッ」。

「おやちゅ!」 (と、勝手に私が判断した)

瞬間、だーーーーーーーっと頬を流れ落ちる涙!滂沱!おまえー!このやろうー!かわいいー!かわいすぎるんだよぉーーー!!

私は改めて心に誓った。
「絶対見捨てたりするもんか。一緒に生きる。絶対一緒に生きるからね!」

子猫のおやつ、ミルクと蜂蜜を混ぜたモノを、指の腹にのせて1号の口元に差し出すと1号はぺろぺろとおいしそうになめ始めた。
「一緒に生きよう、1号」
声にして語りかけると、1号はちらっと私を見て
「ふわたぁ!(了解)」と返事をした。

・・・。
変な、鳴き声・・・。


その夜、私は1号に「小龍(シャオロン)」と名づけた。
ブルース・リーの本名である。